平成21年7月号
(第135版)
【お知らせ】( 理事会・経営方針・ 21 年度経営計画について)  理事長 迫田耕一朗
  理事会は法人の進むべき道を決定する最高決議機関であり、毎月一回の定期開催で真摯な討議が行われている。「すべてを患者さまのために/すべてを利用者のみなさまのために」という理念を掲げ、行動目標は「良質な地域医療と福祉の提供/堅実経営」である。ぶれない軸である。地域の医療と福祉の最前線として、かかりつけ医として担うべき機能をより高めて、理念の実現をめざしたいと念じている。これが経営方針である。 平成21年度の経営計画/戦略を以下に示しておきたい。

経営計画 (患者さん、利用者さん、ご家族の視点を尊重した医療・介護サービスの実現)

1)円滑なコミュニケーションの促進 2)安全対策・事故対策の徹底 3)感染管理の推進
4)協会健保・企業検診の促進 5)電子カルテ・電子レセプトシステムの検討 6)医療評価機能審査更新の検討
7)人材育成の研修制度の充実 8)デンマーク留学生受け入れによる施設の活性化 9)収支の安定した法人経営

経営戦略 (持続的成長を支える経営体制の構築)

1)地域からのゆるぎない信頼と支持を集め、地域と共に発展していく  

@地域医療連携室の活動強化 A宮崎市赤江北地区地域包括支援センターとの連携強化
B地域との交流と貢献活動の推進  

2)中長期的な戦略

@特定医療法人への移行検討( 2011 / 3 をゴールに設定) A新病院計画プロジェクトチーム編成
B法人の医療・介護・福祉事業の複合体としての機能の強化 C職員の技術・人格の形成/中間管理職の研修を検討
D働きがいのある人事制度の構築 E全職員の情報の共有化意識の統一を図るシンポジウムの開催
F第三者評価の積極的受審 G広報活動の充実
Hコンプライアンス活動体制の確立 I社会的責任への取り組み

これらを検討する会議体制については別項で紹介したい。

〜 サンヒルへ異動になったことで 〜
 
サンヒル 理学療法士 中束
 サンヒルきよたけ 理学療法士の中束美樹です。耕和会に入社して1年3ヶ月、迫田病院からサンヒルに異動になって早いもので 9 ヶ月がたちました。そこで今回、私がサンヒルへ異動して感じた事、そして今想うことを書いてみようと想います。
  先ほども述べましたが、サンヒルに異動になって 9 ヶ月がたちましたが、異動になって数ヶ月は利用者の方、書類の多さに驚きながら、日々の業務におわれていた様に思います。今でも仕事量自体は変わらないのですが、異動してきた頃と比べると少し落ち着いて物事を考えられる様になりました。その中で特に今感じることは、色々な職種の方にお世話になりながら、自分が仕事をしているということです。「チームワークの良い職場」などよく耳にする言葉でしたが、サンヒルに異動したことで、仕事上での他職種との連携、チームワークの大切さを強く感じることができました。又、自分の知識や勉強不足のせいで、色々な方に迷惑をかけているのですが、親切に指導して下さったり、落ちこんでいる時には自分の事の様に親身になって話を聞いていただいたり、一緒になって考えてくれたり、又飲みに行ったりと、自分は沢山の人に支えられていることも感じました。そして、職員の方々だけでなく利用者の方々からも、私の方が元気をいただくことも多く、利用者の方々にはリハビリを通して少しでも還元していくことができればと想います。
  この9ヶ月間、忙しい業務の中で色々想うこともあったのですが、ここ最近で専門職としての楽しさを少しずつ感じることもできています。自分が行なったことで結果がでたり、利用者の方の笑顔を見ることができる様な仕事をしていきたいと思っています。
  少し話はそれましたが、サンヒルに異動になったからこそ気付けたこともあります。それは、病院で指導して下さった先輩方の事です。自分の事を想って指導して下さったことを痛感していると同時に、例えば自分が失敗した時に守ってくれていた様に思います。影で色々言う事は簡単なことですが、そういうのはなくストレートに真剣に指導して下さったことを有り難く思います。今は一緒に働いていませんが、病院とは違う老人保健施設での自分の役割を理解し、専門職として少しでも成長することが恩返しにつながるのではないかと思います。
  サンヒルに異動してもうすぐ1年がたちます。今まで色々お世話になった分、次は私の方が職員の方にも利用者の方にもお返しできたらと思います。その為にはまず、目の前にある仕事から、そして向上心を忘れずに仕事に取り組んでいきたいと思います。
  こんな私ですが、これからもよろしくお願い致します。
〜 看護師を志した頃を振り返って 〜
 
迫田病院 外来看護師  牧野
 迫田病院に勤務して 1 年が過ぎました。今回、エコーリレーの声がかかり、改めて看護師としての自分を振り返る良い機会であると考え書かせていただきます。
  私の中で看護師を志したきっかけや働きだした時の事を思い出す時、必ず父の存在があります。進路について考えなければならなくなった頃、それまでピアノを習っていた事も あり、ただ漠然とピアノが活かせるような職業に就けばいいかなと感じていた私に父が、「今からは資格のある仕事に就いたほうがいい」とアドバイスしてくれました。その当時、母が入院していたこともあり、毎日のように学校の帰りに母を見舞い、献身的に働いている看護師さんを身近に見ていました。半年に及ぶ入院だったため、看護師さんとも大変仲良くなり、いつも病室に入ってくると私と母に笑顔で声をかけてくれ、その振る舞いや優しさが大変嬉しく、その事がきっかけとなり看護学校への進学を決めました。その際父は、「それはいい」と大変喜んでくれたと記憶しています。またその後、私が就職して、三交代の勤務についていた頃には夜勤で家を出る私に父は、玄関先に出てきては「患者さんには優しく」とよく言っていました。その当時はその言葉を聞くことが大変苦痛で「また言っている」と思い、返事をする事もなく聞き流していました。
  そんな父も 9 年前の入梅の頃、庭先で倒れその日のうちに天国へ召されました。あっと言う間の出来事で、今思い返しても亡くなった日の事は記憶が欠落している所もあります。今、歳を重ねるごとに、これまで以上に父の事を思い、身近に感じ、よく言っていた言葉を思い出します。その言葉の重みも。そして、亡くなった人は千の風になって・・・という歌のように、お墓に入るのではなくて、この大きな空を吹き渡っているのではないかと本当に感じています。前向きに進んでいけるように、後押ししてくれる風になって・・・。今年も実家の庭先に、父の大好きだったしゃくやくの花が満開に咲きほこり、私の心を穏やかな気持ちにさせてくれました。
  「後悔先に立たず」「孝行のしたい時分に親はなし」と言う言葉は私にとって、耳の痛い言葉ではありますが、これからもこの仕事を天職と考え、日々精進する事が親孝行なのではないかなと思っています。