平成22年8月号
(第148版)
〜 我が家の熱帯魚達・・・ 〜
 
太陽の丘  介護職  徳地

  みなさん、初めまして。
  私の道楽というべきなのか、癒しというべきなのか分かりませんが、我が家の熱帯魚たちについて、話そうと思います。
  熱帯魚飼育を始めて、9ヶ月が経ちました。魚なんて、全くと言って良い程、興味のなかった私が、まさか熱帯魚を飼うなんて!! 夢にも思いませんでした。どうして、熱帯魚を飼う事になったのか・・・。そのきっかけは、もうすぐ 8 歳になる娘が、子ども会で行ってきた地区の交流会(夏祭りの様なものです)で、メダカを持って帰ってきたのです。娘が「お母さん、メダカを買ってきたよ!!」と、深みのあるタッパーに入れられた、3、4匹のメダカを私に見せてくれたのが、魚と私の初めての出会いでした。娘がメダカを持って帰って、しばらくの間はそこまで気にならなかったのですが、エサをあげたり、水を足したりするうちに、段々と情もわいてきました。いつの間にか、仕事から帰ってくると、何かメダカに変わった事はないかと、観察をする様にまでになっていたのです。そして、本格的に水そうで、メダカを飼おう!! と、一大決心をしました。初めは、どうせメダカだけしか飼わないから・・・と、小さな水そうでした。いざ飼い始めてみると、段々と欲も膨らみ、メダカら熱帯魚へ、水そうの大きさも、 30 cmから 45 cmへとなりました。(本当は 60 cmの水そうで、もっと色んな熱帯魚を飼ってみたいのですが・・・)
  現在はと言いますと、水そうの中に、メダカの仲間とナマズの仲間、それに日本の渓流域に生息しているヤマトヌマエビ、後は、1度は誰でも目にした事がある、カージナルテトラ(いわゆる青と赤色の熱帯魚です)に、ブラックテトラ(座高のある、少々気の荒い暴れん坊です)等、諸々います。ちょっと種類が多くセンスのない水そうになっていますが・・・。休日と言えば、ほとんどが水そうの水換えに費やしています。これもまた、大変です。楽な水換えの方法を色々と考え、試しましたが、結局は部屋にレジャーシートを敷いて、バケツを3、4個並べてせっせとしています。時には、面倒くさくなり、もういいや。てきとうで・・・。熱帯魚にもしもの事があっても、少々の事では死なないだろうと、心が折れてしまいそうになる時もあります。でも、やっぱり好きじゃないと、熱帯魚の世話はできないなと、痛感しています。

〜 私の趣味 〜
 
迫田病院  看護師  新井
  私は、中学生から大学4年生まで競技として陸上の長距離をしていました。本当にきつい練習でしたが、走る事が大好きでした。「どうして走ってるの?走るのは苦しいだけなのに。」という質問をよく受けました。その頃は、速くなりたい。速く走れるにはどうしたらよいだろう。とその事ばかり考え打ち込んでいました。また、自分の事を走るロボットだと感じていました。
  大学を卒業してパタッと走ることを辞めてしまいました。その頃はマラソン中継のテレビをみるのも嫌になっていました。しかし、 30 歳を過ぎた頃小学生だった私の娘が「走るのが速くなりたい。」と言い出しました。長距離は練習次第である程度までは速くなれる。とわたしは思っているので娘と一緒にジョギングをはじめました。その娘はいまでは小林高校女子駅伝部で競技として頑張っています。再び走るきっかけを娘からもらった私は、今度は楽しんで走ってみよう。と無理のない程度にジョギングをし、年に 2 〜 3 回ハーフマラソンに参加するようになりました。汗をかくことが気持ちよく、走りながら季節の変化、風景を楽しみ趣味として走る事ができました。また走っていると年齢の違ういろいろな人と知り合いになれ、おしゃべりしながら走り続けることができました。
  しかし今は、学校があり、仕事があり、時間がない。疲れている。と走ることも辞めてしまい私に趣味といえるものがありません。
  先日、運動は得意ではない先輩ナースから「ジョギングを始めたの。」「疲れたと言って座り込みボーとテレビを観てるよりジョギングしたら気持ちいい。」「疲れた。時間がない。は言い訳だよね。」という言葉をききました。その時、忘れていた事を思いだしたような気がしました。私はまさに「疲れた。時間がない。」を言い訳にしています。先輩ナースとの会話は私の気分をパッと変えてくれたステキなものでした。もう昔のようには走れません。でもまた、走ってみようと思います。時期もよく学校の夏休みがきます。
  身体の老化を防ぐ為、自分自身の気分転換の為、趣味として走り始めたいと思います。今の目標は、青島太平洋マラソン、照葉樹林マラソンです。