平成23年7月号
(第159版)
〜 タイ旅行 〜
  
サンヒル 理学療法士  尾形

 初めまして。昨年の7月よりサンヒルきよたけで勤務している理学療法士の尾形です。以前は病院で働いており、今回、施設での勤務は始めてとなります。就職した当初は、病院と施設の違いにとまどいを多く感じていましたが、約1年が経過し、仕事にもだいぶ慣れてきました。まだまだ、これからも理学療法士として学ぶ事が多く、今まで以上に頑張って行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
 今回のエコーリレーですが、以前、タイに海外旅行に行きましたので、そのお話しをします。タイ旅行には友達と2人で3泊4日の旅程で行きました☆タイ旅行が決まるまでに何度も行き先が変わり・・どこに行こうかかなり迷いました。1年以上うやむやにしながら、やっとタイ旅行に決まりましたが、決まった後も行く月を変えたりとなかなか実行するまでにも月日がかかりました。ようやくタイ行きが決まり、タイへは福岡から飛行機で行きましたが、着いた途端、真夏の暑さと熱を感じました。行った時期がちょうど暑期に入った頃で、日本より先に真夏を感じてきました(32〜33℃ぐらいだったと思います)。
 まず、観光地として王宮を始め、エメラルド寺院(王宮内)、ワットポー(ねはん寺)、ワットアルン(暁の寺)に行きました。王宮内の寺院はやはり少し格式が高く、服装や靴などに条件があり(肌は露出しない。靴は踵があるもの)、またエメラルド寺院では、仏像がエメラルド色なんですが、写真に撮るのも禁止でした。でもそこではタイ式のお祈りをする事ができました。他の寺院については、歴代の国王ゆかりの物や、金ぴかに金箔が貼られているもの、また色とりどりのお皿を割って、その欠片で装飾されている建物などが多数あり、色彩が鮮やかで圧巻でした。ワットアルンについては、高く大きな建物で、友達は高所恐怖症により一番上までは昇る事が出来ませんでしたが、私は上まで昇り、途中の階段では、同じ観光客の方と一緒に写真を取りました。タイは仏教国でとても信仰心が強いと聞いていましたが、街中においても、いたる所に仏像(日本の仏像とは少し違いますが・・)があり、お参りされている方が多数いらっしゃいました。その仏像もとてもきれいで、その周りも花飾りが多く飾られており、とても明るい印象を受けました。
 観光以外に、もちろん買い物も行ない、駅ごとにデパートが立ち並んでいるために、電車に乗って、時間のある限り大デパート4つ巡り・・電車はタイ語でしか行き先が書いていない為に、旅行雑誌に載ってるタイ語と看板を見比べたりして、乗りました。1度は反対方向の路線に乗り間違えましたが、それ以降は間違える事なく、無事に行きたいところへたどり着きました。また、食事はせっかくタイに来たので、4日間ともタイ料理を食べました。かなり辛いものや香草の強い物などありましたが、基本、どれも美味しく、食事に後悔する事はありませんでした。タイは物価がかなり安いので、スーツケース一杯にお土産を買いました。(片言の英語とジャスチャーで値下げしてくれました)
 タイ旅行は3泊4日で充分に満喫する事ができましたが、また行きたいと思えるほど楽しい4日間を過ごす事ができました。また、今後、海外旅行に行く為に、これからも貯金を頑張ります。

〜 宮崎に来て、4年半 〜
 
迫田病院  看護師  松吉

 初めまして。3階病棟で皆様に支えられながら、毎日奮闘している松吉です。私は大阪で生まれ、中学3年まで大阪で育ちました。小学校の頃は、転校生に憧れて、自分も転校とかしてみたい!なんて憧れたりしていました。それは自分が引っ越しなど無縁だったから。まさか自分があちこち移動する様になるなんて、これっぽっちも思いもしませんでした。
 最初は中3の終わり、三重県のド田舎に引っ越しました。今まで徒歩 10 分の小・中学校だったのが、徒歩と電車で1時間かかる所でした。家の周りは自然だらけ。コンビニも歩いて行ける距離になくて、何という所に来てしまったんだ…とがっかりしてしまいましたが、人の良さは天下逸品!誰もがいい人で、本当に楽しい高校生活を送りました。そんな田舎だったので、交通手段がない…なので、みんなバイクの免許をとって、どこそこ遊びに行きました。私の周りはバイク好きが多かったので、私も実は、中型までは乗れます♪もう今はもっぱら車ですが。
 しかし、今度は一人暮らしに憧れて、名古屋の専門学校に行きました。大阪と三重は関西弁ベースなので、戸惑うことは少なかったのですが、名古屋は言葉が全然違って、ビックリしました。名古屋の人は、「〜だがん」(〜でしょ)とか、「どら〜だでぇ」(すごく〜だから)とかよく言います。ちょっと怖かったです (>_<)
 そして、専門を卒業後は宮崎に引っ越して、現在に至ります。宮崎弁が初めは全くわからなかったのに、今は地元の友達に訛ってると言われるほど、宮崎弁もマスターしてきました。
 未だに地元が恋しくなる事は多々ありますが、たまに帰れる日を楽しみに、病棟の先輩だったり、同期の友達だったり、家族だったり、色んな方々に支えられて何とか頑張っています。自分は知識も技術も未熟で、迷惑をかけてばかりいますが、いつかは先輩方のようになれる日が来るのを夢見て、日々前進していきます!これからもよろしくお願いします!!
 最後に、小さいのに色々我慢させてしまっている娘たち (>_<) いつもバタバタでなかなか構ってあげられず…ですが、いつも私に元気をくれます。私のパワーの源で す!