平成24年1月号
(第165版)
〜 留学を通して。 〜
  
サンヒル 療養部 入所係  山添

 こんにちは!療養部入所係りの山添です。今回は二十歳の頃に半年間だけオーストラリアに留学していた時の事をお話したいと思います。私の通っていた大学では授業の一環として、定められた国の中から一つを選んで行かなければいけませんでした。当時、家族から離れるのが嫌で留学に行きたくなく、準備を終えたのが当日だった事を思い出します。
 行ってしまえば慣れるもので、最初の1ヶ月は5人家族の家にホームスティをさせていただきました。オーストラリアの文化に慣れるいい機会だと考えていたのですが、向こうの語学学校に通っていると、朝は早く夜は遅かったので中々家族の団欒の時間がとれず、シェアハウスでの生活を選びました。そこでは、台湾・韓国人・タイ人と生活をし、お互いの文化を伝え合い、それぞれの国を身近に感じる事が出来ました。お互いの母国語も教え合い、英語だけではなく様々な言葉を知る事が出来ました。
 日常生活において、全て自分でしないといけないので、特に料理は悪戦苦闘しながらでした。向こうの食べ物はカロリーが高いものが多く、街行く人が肥満体形な人が多いのも納得でした。そういう自分も人の事は言えず、たったの半年で体重が8 Kg も増えて帰ってきました(^^;)毎週金曜日は誰かの家でパーティを開き、人種関係なく皆友達という感じだったので、一番楽しみな時間でした。向こうのデパートはとにかく閉まるのが早く、4時には閉まってしまう店が多かったので週に1度のショッピングデーと決まっていた日が楽しみで、毎週のように街に繰り出していました。私が住んでいた場所からシドニーまでは電車で約1時間半で行けたので友達とよく出かけていました。語学学校を終えてからは時間が出来たので、ゴールドコーストへ旅行に行きました。自分達で飛行機やホテルを手配し、着いてからもドキドキでしたが、楽しい旅行となりました。この旅行も食べて飲んでばかりでした。
 話が大きく変わりますが、まだ学校に通っている頃忘れられない出来事がありました。オーストラリアの若者はアジア人を馬鹿にする傾向があると感じる場面に遭遇しました。アジア人を見ると「チャイニーズ」とからかってきたり、中指を立ててきたり、ひどい時にはビール瓶を投げてくる事もありました。日本人がアメリカ人とイギリス人の区別がつかないのと同じでの発言だったかもしれませんが、あきらかな差別を感じた瞬間でした。もちろん皆がそういう人達ばかりではなかったですが、ショックを受ける出来事でした。色々思い出しながらここまで長くなりましたが、留学前と後では自分自身に変化があり、消極的だった性格から少しずつ、自分の意見を言えるようになってきました。留学中は自分の考えが言えないと何も学べないような環境にいたので困難を乗り越えた後こそ感じることのできる気持ちだと今も思っています。
 またいつか、機会があれば海外に行きたいです。ちなみに今は英語は全然話せません(^O^)

〜 ターニングポイント 〜
 
大腸肛門センター 看護師  永里

 明けまして、おめでとうございます。大腸肛門センターの永里です。早いもので迫田病院に入職して3年。迫田病院は託児所もあり、子育てをしながら働ける職場。な・の・に…、まだまだシングルライフを謳歌中?です。永里といったら旅行とお酒、なんて思いの方がほとんどでしょう。いいえ、酒好きではありませんよ。ビールが大好きなのです。まあ、ビールの話はおいといて…。
 では、私の過去の話をちょっと。数年前、「負け犬の遠吠え」なんて本が話題になった頃、私はアラサーで大人思春期の真っ只中でした。看護師としてバカまじめに働くことがほとほと嫌になっていました。「今は自分のケアが必要だ」と感じ、9年お世話になった職場を、なんのあてもなくとりあえず退職。退職後…「看護師ではなく何かほかの…でも…何ができるだろう??」そんなことばかり考えていました。「今しか出来ないこと…」「そうだ!海外で暮らしてみよ」「ワーキングホリデーってあるじゃん。」と、思いつきで行動。私が選んだのは年齢制限で支障がなく、ビザが取りやすい、縁もゆかりもないオーストラリアでした。そして、中1レベルの英語力で日本を出発。ケアンズでくそまじめに、3ヶ月もイングリッシュスクールに通いましたが、なかなかエレメンタリー(小学生)クラスから昇級できず…。しかし、英語がヘタでも、表情やジェスチャー、周りの状況を考えればコミュニケーションをはかれると実感。友人も出来、オーストラリアでの生活がぐーんと楽しくなっていきました。この頃から「心臓にうぶ毛」が…。滞在中は資金を稼ぐため、皿洗いや住み込みでベビーシッター・家政婦などをし、そのお金を元手に、オーストラリア各地を転々と。荒野の夜空の下、南十字星を眺め飲むビールは格別で、寝袋の中から見た小雨のような流れ星は今でも忘れられません。3日シャワーを浴びれなくても、トイレがなくても…それはそれは最高でした。一人旅で飛行機に乗り遅れたり、デジカメを置き忘れたり、宿から追い出されそうになったり…トラブルも多々ありました。しかし、出会う人々に助けられ、支えられ、いろいろな刺激を受け、忘れられない充実した日々を得ることができました。言葉がわからなくても、相手の気持ちになりわかろうと耳を傾けてみる…すると、心は通い合うことができることを実感。思いつきのオーストラリア生活でしたが、私の人生観を大きく変えた一年でした。
 でも、やっぱり私は根っからの日本人。白いご飯とお味噌汁、納豆、わびさび、あいまい、義理人情、温泉、アサヒスーパードライが恋しくて…。なんだかんだで、また、看護師…に。そして、今に至ります。あれから、異文化コミュニケーションが癖になり、次はどこに行こう、何をしようかなと世界地図をながめ、日々妄想してはニヤリ。
 こんな落ち着きのないアラフォー、永里を今年もよろしくお願いします。