こんにちは!療養部入所係りの山添です。今回は二十歳の頃に半年間だけオーストラリアに留学していた時の事をお話したいと思います。私の通っていた大学では授業の一環として、定められた国の中から一つを選んで行かなければいけませんでした。当時、家族から離れるのが嫌で留学に行きたくなく、準備を終えたのが当日だった事を思い出します。
行ってしまえば慣れるもので、最初の1ヶ月は5人家族の家にホームスティをさせていただきました。オーストラリアの文化に慣れるいい機会だと考えていたのですが、向こうの語学学校に通っていると、朝は早く夜は遅かったので中々家族の団欒の時間がとれず、シェアハウスでの生活を選びました。そこでは、台湾・韓国人・タイ人と生活をし、お互いの文化を伝え合い、それぞれの国を身近に感じる事が出来ました。お互いの母国語も教え合い、英語だけではなく様々な言葉を知る事が出来ました。
日常生活において、全て自分でしないといけないので、特に料理は悪戦苦闘しながらでした。向こうの食べ物はカロリーが高いものが多く、街行く人が肥満体形な人が多いのも納得でした。そういう自分も人の事は言えず、たったの半年で体重が8 Kg も増えて帰ってきました(^^;)毎週金曜日は誰かの家でパーティを開き、人種関係なく皆友達という感じだったので、一番楽しみな時間でした。向こうのデパートはとにかく閉まるのが早く、4時には閉まってしまう店が多かったので週に1度のショッピングデーと決まっていた日が楽しみで、毎週のように街に繰り出していました。私が住んでいた場所からシドニーまでは電車で約1時間半で行けたので友達とよく出かけていました。語学学校を終えてからは時間が出来たので、ゴールドコーストへ旅行に行きました。自分達で飛行機やホテルを手配し、着いてからもドキドキでしたが、楽しい旅行となりました。この旅行も食べて飲んでばかりでした。
話が大きく変わりますが、まだ学校に通っている頃忘れられない出来事がありました。オーストラリアの若者はアジア人を馬鹿にする傾向があると感じる場面に遭遇しました。アジア人を見ると「チャイニーズ」とからかってきたり、中指を立ててきたり、ひどい時にはビール瓶を投げてくる事もありました。日本人がアメリカ人とイギリス人の区別がつかないのと同じでの発言だったかもしれませんが、あきらかな差別を感じた瞬間でした。もちろん皆がそういう人達ばかりではなかったですが、ショックを受ける出来事でした。色々思い出しながらここまで長くなりましたが、留学前と後では自分自身に変化があり、消極的だった性格 から少しずつ、自分の意見を言えるようになってきました。留学中は自分の考えが言えないと何も学べないような環境にいたので困難を乗り越えた後こそ感じることのできる気持ちだと今も思っています。
またいつか、機会があれば海外に行きたいです。ちなみに今は英語は全然話せません(^O^) |