私は、7月からサンヒルきよたけ療養部デイケアで看護師として勤務させて頂いております佐野と申します。先日やっと、勤務して3ヶ月過ぎました。入社した日からスタッフの皆さんより温かい言葉をかけて頂き、感謝しております。有難うございます。私は、昨年の3月に看護師に復帰し、介護関係の仕事は全く初めての経験です。それでは、私の今までの経歴をお話したいと思います。私は、兼業農家の長女で古墳の町・・・西都市で生声をあげました。出産後、超未熟児であった為に両親に心労をかけてばかりいました。子供の頃は、近所の同じ年頃の友達6人と木に登って木の実を取ったり、野イチゴを摘んでジャムを作りパンケーキにのせて食べたり、ワイルドな事が好きであり自然いっぱいの中で育ちました。しかし、体育系は苦手でしたので小学校の低学年から、高校まで書道に励みました。
今、振り返りますと・・・私の周りには、聴覚障害者の祖母や叔父がいたり、肢体不自由な友が居たりして育った為、自然と看護師になる事の道順だったかもしれません。妻高校の家政科を卒業し、宮崎市内の某内科医院を委託病院とし働きながら、5年間看護専門学校に通いました。この青春時代に勉強と仕事の両立は、大変な事でした。幾度となく挫折しそうになりましたが、恩師や友人の支えがあり、無事に卒業することが出来ました。今でも、恩師や友人と親交させて頂いています。
昭和60年に、縁あって田野の農家後継者と23歳の時に結婚しました。その後、男の子3人の母となり勤務先も夫の希望により退社しました。それからは、二男が大学在学まで農家の嫁として夫・義母と一緒に農業に、従事してきました。今では、長男が後継者となり嫁と共に家業を守ってくれています。休日は、孫の子守りや本業にさし障りの無き様、少しだけ農作業を手伝います。
最近、思う事があります。看護・介護という仕事は、本当に数ある仕事の中でも自らも人間的に成長出来る仕事であるという事。この仕事に就けた事は、奇跡でもあります。もう2度と、看護師免許証が日の目を浴びる事も無いだろうと考えておりました。看護師に就く事を切に望んでいた両親は、あの世でさぞかし喜んでいるでしょう。
丁度、1か月過ぎた頃・・デイケアの慌ただしさや、介助法が分からず心が折れそうになりました。そんな時、スタッフから「辞めるのは、簡単。どうせ辞めるのなら、次の職場で活かせる様に習得してやめたら」「ひとつひとつ、クリアして確実に覚えていったら」「そんなに、考えなくてもいいのでは」と、助言を頂きました。貴重な助言を心に刻みながら、邁進したいと思います。慌ただしさの中で利用様の声を見失う事なく、日々精進したいと思います。耕和会の皆さん、これからも宜しくお願い致します。皆様の健康と、ご多幸をお祈りして失礼致します。最後に、この様な機会を作って下さり有難うございました。 |