平成25年12月号
(第188版)
〜 私の原点…金子みすず… 〜
 
グループホーム太陽の丘 看護師長  野中
  今から35年も前の出来事です。私は東京の日赤看護短大を卒業し、そのまま日赤医療センター6東病棟に就職しました。そこは血液内科、神経内科、腎臓内科の混合病棟で、白血病や難病の方が多く入院されていました。今ほど、治療方法も進んでおらず、白血病で退院できる方は稀でした。そんな中、新人の私は白血病のYさん(50代、男性)に可愛がってもらい、たくさんの話を聞かせていただきました。田舎者の私にとって、Yさんの話は新鮮でした。そんなYさんに私もついつい 愚痴や悩み事を漏らしていたのでしょう。ある日「色が黒くても、訛があっても、仕事を失敗してもいいじゃない。君は君だよ。
自分の良さがわからない人は患者さんの気持ちも解らないと思うよ。」と言って、金子みすずの詩を教えてくださいました。


私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面を早くは走れない。

私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。

110年も前に作られた詩です。スマップの「世界に一つの花」が発売されるずっとずうっと前の事です。
 Yさんと同じ齢を迎え、私はあの時のYさんの気持ち・・死と向き合う辛さ、無念さ、家族と別れる寂しさ・・・何一つわかっていなかったと胸が痛みます。ごめんなさい。でも、Yさんからはたくさんの事を教えていただきました。「ありがとう」って言ってもらえるだけで人は頑張れること。看護という仕事を好きになれたこと。故郷がある幸せ。生きることの意味。そして胸が張り裂けそうな悲しい別れが本当にあること・・・
 今年の5月、金子みすずの生誕地を訪れました。二人の子供からの母の日のプレゼントでした。Yさんが是非行ってみなさいと勧めてくれた仙崎の港町です。この35年間、「みんなちがって みんないい」何度つぶやいたことでしょう。私の看護の原点は金子みすずと6階東病棟にあると改めて思っています。
 この齢になり、看護師として、病院でできる事と福祉の現場でできる事の違いが解りかけた気がします。Yさんもう少し見守っていて下さいね。

〜 わたくし事 〜
 
迫田病院 看護師 山中
  みなさんこんにちは。迫田病院3階病棟に勤務させていただいております、山中と申します。こちらに入職し早くも4年目を迎えます。二人目の娘を今年の3月に出産し9月に復職しました。お腹が出ない体質らしく周りからあまり妊婦と気づかれることなくこっそり出産し帰ってきました。長女(4歳)は保育園、次女は託児所のお力を借りすくすく成長中です。

  私は神話の里といわれる山奥の高千穂町出身です。熊本県がすぐ近くということもあり、以前は4年程熊本の病院で勤務していました。県内の出身ですが実は宮崎のことは詳しくありません。(極度の方向音痴、お家引きこもり大好きということもありますが…)田舎育ちで、バスもほとんど通ってない所で育ち、学生時代は朝6時に懐中電灯を持って出発し、8キロ程のがけ崩れを容易におこす山道を通り登下校していました。そのおかげか長距離持久走は割と得意です。また自然に囲まれ生活し蜂、蛇、猪、鹿、山草等々…食べたことも普通にあります。蜂のから揚げは本当においしいので是非皆様に食べてほしい一品です。今からの季節は夜神楽が毎週、様々な地区で行われます。神楽では焼酎の旨みと風味が更に際立つかっぽ酒も振る舞われます。興味のある方は是非どうぞ。その際は本当に寒いので防寒対策をしっかりしてくださいね。

もうすぐクリスマスです。サンタさんを待っているお子様達のことを思い家族で検討されていることでしょう。クリスマスというといつも思い出すのは私の母です。私が小さな頃サンタを信じて手紙と靴下を枕元において、いつ来るかと見張っていたことがありました。看護師をしている母は準夜が終わり、私の枕元の靴下の中にお歳暮で実家に贈られていた静岡産のみかんを慣れた手つきで詰め、サンタへの手紙は気付かずそのまま放置、そして『好きなものを買ってね』サンタよりと書かれた1000円の入った無地の封筒と、何故か粗品と書かれた鏡を置き去っていきました。今でこそ笑い話ですが幼い私には衝撃的でした。私も母のようにはならないよう身を引き締めているところです。しかし今でも現役で夜勤もこなして仕事をしている母を密かに尊敬しています。私は母としても看護師としてもまだまだ及ばないことが沢山です。少しずつでも日々成長できるよう頑張ろうと思います。最後に私事の内容の文章におつき合いいただきありがとうございました。