平成18年8月号
(第100版)
〜「エジプト旅行日記」〜
サンヒル リハ部 音楽療法担当 中武 綾子
5/22
 新婚旅行へ出発!!関西空港からエジプトまで直通の飛行機で約13時間。時差は、現在サマータイムの為−6時間。日本からの旅行者が意外と多く、満席だったのには驚いた。カイロ到着時刻は現地時間で22時、あれだけ長い空路だったのに時間の進みは遅く、何だか得した気分だった。
5/23
 3大ピラミッド(約4500年前)は予想以上に大きく、感動した。目の前に立つと視界に入らないほどの大きさで、三角形には見えず、1つの石の大きさを見ても、人口建造物とは思えないほどのスケールだった。ラクダに乗ってピラミッドを見ることができ、少年が「ヤマモトヤマ!ワンツースリー」と写真を撮ってくれた。お土産を売る商売人が多く、日本人を見ると「2007ネン ニホンゴカレンダー、マツシマナナコ!」一体誰が教えたのか・・・。スフィンクスが見つめる先にケンタッキーがあるかどうか、確かにあった!夜は部屋からライトアップされた2つのピラミッドが見え、とてもきれいで神秘的だった。
5/24
 早朝4時起床、飛行機を乗り継いで約6時間の大移動、ここはエジプト最南端のアブシンベル神殿。(約3300年前)思わず声を上げてしまうほどの大迫力だった。4体のラメセス2世の像は視界に入りきれないほど大きく、下から見上げると今にも動き出しそうで、怖くなるほど圧倒させられた。さすが最南端だけあって、この日は40度を越し、照りつける太陽は刺すように暑く、地面からの照り返しも気を失いそうだった。
5/25
 ホルス神殿へは、'コンヴォイ'という警察に護衛されるテロ対策の移動方法をとらなければならなかった。しかも各バスには1人ずつ銃を持った警官が添乗した。神殿内でハプニング発生!!神殿内の案内人に行き止まりまで誘導されたかと思うと、チップをせびられ慌てて逃げた。怖かった!青空の下に見る神殿もきれいだったが、ライトアップされた神殿は幻想的な雰囲気に包まれていた。
5/26
 この日の最高気温、43度。王家の谷には60を越える数多くの墓が発見されていた。ツタンカーメンの墓は、重々しい空気の中にきれいに残っていた。壁にはミイラを作っている様子の絵が描かれていて、深い墓になるほど、壁画の状態もよく色もきれいに残っていた。
5/27
 ツタンカーメンの墓の中にあったものが展示されていて、ミイラを作るベッドや金色の棺など数多くのものが入っていたようだ。墓は荒らされておらず手付かずだった為、そのままの状態で残っていた。
5/28
 考古学博物館には、ツタンカーメンの顔にかぶせてあった黄金のマスクが保管されていた。正面に立ち目を見つめると引き込まれそうで、今まで見たものとは違うオーラを感じた。
 この旅行を楽しめたのも、現地ガイドのモスタファのおかげだ。彼は日本人よりも丁寧な日本語を使う、親切で優しいエジプト人だった。彼は「イスラム教徒がみんなテロリストだと勘違いしないで欲しい」と訴え、私達はお互いの国について学ぶことができた。世界遺産を見たという感動だけでなく、より深いものを感じとることのできた旅行となった。
〜「どうでもいい話 パートU」〜
迫田病院 薬剤部 薬剤師 大迫 秀子
 早いもので、迫田病院にお世話になりはじめて、1年が過ぎました。今年の干支は戌(いぬ)ですね。そう今年は戌年で私のえとの年です。というと、36才か48才、はたまた24才なのかは、御想像通りです。
 私もこの年になると、若い頃には考えもしなかった、老化現象が出初めてきています。特に目と耳。もともと近視だったところに遠視が重なり、とうとう遠視のメガネを最近購入しました。耳の方は、父方の遺伝もあり、低い音が聞き取りにくいとは感じていたのですが、耳鼻科での検査でも、老化現象の一つで、これ以上ひどくならないよう(極度の肩凝りをさけ、バランスのとれた十分な栄養をとる)にするしかないようです。身体的にも、足の上げ方が足りないのか、単に足が短いだけなのか、何もない所でつまずきそうになったり、階段を踏み外しそうになったりします。私の場合、7年前の甲状腺腫の手術がきっかけとなり、老化に加速がかかったのかもしれません。老化は、生まれてきた人間の宿命で年をとり、死に向かって生きていく人間には、どうしようもない事ですが、上手に年を重ねたいというのが、現在の一番の願いです。
 美しく年を重ねて、生き生きと過ごされている方に出会うと嬉しくなります。つい先日も、あるスーパーのコピー機の前で、たくさんの楽譜をコピーされていた女性が、後ろで待っていた私に、「この年でカラオケに挑戦するのよ。ピアノも習い始めたし、4年前に主人を亡くしてね。」など、とても76才とは思えない、つやつやした肌で、もえぎ色の帽子とブラウスの似合う素敵な方に出会いました。中学校で人と待ち合わせていた時間だったので、その場を離れましたがもうしばらく、話しをしていたいと思った瞬間でした。この方のように、いつまでも何かに挑戦したり、ワクワク、ドキドキし続けたいですね。
 だからというわけではありませんが、主人が「将来、オーストラリアに移住したい。」と言い出した話にも、最近は耳を傾けるようにしています。以前の私は"現実から逃避して・・・。私は友人や親や子供たちと離れるのいやー。行くんだったら、ひとりで行ったら。"そんな気持ちでいっぱいでしたが、最近はそれもいいかな。その為には、英語の勉強、日本の文化の事をもっと知りたい、と主人との会話も増えてきています。趣味は子育てとしか言えなかった自分に、少しずつはっぱをかけてます。主人が退職した後には、オーストラリアに永住してるかも・・・。私のつたない話しに最後まで、お付き合いくださった皆様、この原稿を書く機会を与えて頂いた事にも深く感謝します。ありがとうございました。