今から35年も前の出来事です。私は東京の日赤看護短大を卒業し、そのまま日赤医療センター6東病棟に就職しました。そこは血液内科、神経内科、腎臓内科の混合病棟で、白血病や難病の方が多く入院されていました。今ほど、治療方法も進んでおらず、白血病で退院できる方は稀でした。そんな中、新人の私は白血病のYさん(50代、男性)に可愛がってもらい、たくさんの話を聞かせていただきました。田舎者の私にとって、Yさんの話は新鮮でした。そんなYさんに私もついつい
愚痴や悩み事を漏らしていたのでしょう。ある日「色が黒くても、訛があっても、仕事を失敗してもいいじゃない。君は君だよ。 自分の良さがわからない人は患者さんの気持ちも解らないと思うよ。」と言って、金子みすずの詩を教えてくださいました。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面を早くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。 |
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110年も前に作られた詩です。スマップの「世界に一つの花」が発売されるずっとずうっと前の事です。
Yさんと同じ齢を迎え、私はあの時のYさんの気持ち・・死と向き合う辛さ、無念さ、家族と別れる寂しさ・・・何一つわかっていなかったと胸が痛みます。ごめんなさい。でも、Yさんからはたくさんの事を教えていただきました。「ありがとう」って言ってもらえるだけで人は頑張れること。看護という仕事を好きになれたこと。故郷がある幸せ。生きることの意味。そして胸が張り裂けそうな悲しい別れが本当にあること・・・
今年の5月、金子みすずの生誕地を訪れました。二人の子供からの母の日のプレゼントでした。Yさんが是非行ってみなさいと勧めてくれた仙崎の港町です。この35年間、「みんなちがって みんないい」何度つぶやいたことでしょう。私の看護の原点は金子みすずと6階東病棟にあると改めて思っています。
この齢になり、看護師として、病院でできる事と福祉の現場でできる事の違いが解りかけた気がします。Yさんもう少し見守っていて下さいね。
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