平成26年4月号
(第192版)
〜 フラと初孫の話 〜
 
サンヒルきよたけ  中武

 こんにちは。サンヒル療養部入所係の中武です。耕和会に就職し、15年目の月日が流れています。2回目のエコーリレーがまさか来るとは・・・1回目は、長女の事を書いていますが、今回も、長女の話しになりそうです。ではまず、私の近況から話します。
 5年前から、フラダンスを習っています。迫田病院、サンヒルと合同でフラダンスチームが出来、月に3回夕方迫田病院で練習しています。とても楽しいですよ。サンヒルの花見会には、3回程踊らせて頂きました。病院のスタッフの結婚式にも余興で踊りました。

  年に2回フェスティバルや、チャリティーといった大舞台で素敵なドレスを着て、踊れるのってとても素敵だし、何よりも楽しく私の癒しにもなっています。昨年の春頃から、私の孫ができたら、一緒にフラを踊りたいという夢ができました。(^^♪でも2人の娘がいますが、どちらもまだ、結婚していません。あーまだまだ先の事だなぁと思っていた矢先、8月頃突然、長女から妊娠した 事を告げられました。最初聞いた後、頭の中が真っ白になっていました。

その後からが大変!主人が猛反対!!色々ともめましたが、相手と娘の気持ちは固く、結婚式もちゃんと挙げるからと、約束してくれました。2人ともあまり貯蓄はない為、結婚式の内容を削りに削っていました。そんな中、私は今フラをやっている。結婚式の余興でフラダンスを踊ると言うと、娘も喜んでくれました。生バンドの方にも依頼したら、心置きなく引き受けて頂きました。少しでも、披露宴が盛り上がるような気持ちで、フラ仲間も一生懸命踊って頂きました。12月15日目出度く挙式しました。私の自己満足かもしれませんが、とても良い披露宴になったと思います。娘は今妊娠9ヶ月目、順調のようで、産婦人科医にも安産型だと言われたようです。でも、産むまではやはり心配です。私自身、不妊症の治療をし、長女を授かりました。娘を産むまでにも、2回切迫流産を経験しました。そんな親の子なのに、普通に妊娠して、もうすぐ出産と順調な日々を送っている娘を見ると、微笑ましく思えます。美紀良かったね(*^_^*)私もとうとうばぁちゃんです。(笑)良い響きだと思います。(^_-)-☆初孫から、ばぁちゃんって呼ばれる日が楽しみです。あ!ちなみに孫は、男の子だそうです。もう名前も決めているようです。春に生まれるので、春翔(はると)だそうです。予定日は、4月16日私の母の命日にもあたります。きっときっと母が春翔のことを守ってくれると信じています。前から思っていましたが、孫は可愛いよと良く聞きますが、自分の子供も可愛いのに、孫ってどれだけ可愛いのかしらと思います。でもエコーを見た瞬間、あー可愛い(#^.^#)と思いました。早くこの腕で抱っこしたい気持ちが、強くなりました。母子共に、健康で生まれて来てねー春翔待ってるよーヽ(^o^)丿このエコーリレーを見て頂いている頃にはもう、孫は誕生していると思います。最後まで読んで頂きありがとうございました。

〜 亡き父との思い出 〜
 
迫田病院 税所
 私事ではありますが、先日、3月6日に、父が他界しました。職員の皆様にも、ご丁寧なお悔やみを頂き、ありがとうございました。とにかく、お葬式とは、大変なもので、悲しむ暇もないくらい、次から次へすることがあり慌しかったです。
 そこで、エコーリレーの話題としては、どうかとも悩みましたが、この機会にゆっくりと父との思い出を振り返らせてもらうことにしました。父は、1941年4月10日に、都城で、4人兄弟の末っ子で生まれました。 幼少のころは、わんぱくで、両親、年の離れた兄弟に、かわいがられながら、伸び伸びと育ったそうです。

  学生時代は、勉学は、ほどほどでしたが、スポーツ万能で、とくに、足の速さは町内で負ける者はいなかったと良く私に自慢してました。実際、私の小学校の運動会では、父兄リレーがあり、お友達のお父さんにまじって、誰よりも早くテープを切る父を、その時だけは、すごく、かっこよく見えて自慢の父だった記憶があります。私の方は、かけっこは、いつも、ビリの運動音痴なため、その点は、父もがっかりしてたのではないかと思います。よく「お前は、お母さんに似たんだね。」と言ってました。
  持ち前の運動能力を生かして、自衛隊、消防士として、定年まで、勤続しました。今回のお葬式にも、定年してから、10年近くたつので、職場には何もお知らせしなかったのですが、大勢の同僚、後輩の方が出席していただき、しかも、皆さん泣きながら、父の愛称「幹ちゃん、幹ちゃん」と声をかけて下さる光景をみて、あらためて、職場でも愛されていた父を知り、父の偉大さを知りました。
  45年前、縁あって結婚した母との間に、娘(私)を一人授かりました。よく話す母に対して、言葉少ない父、気の強い母に、温和な父と性格も対照的な夫婦でしたが、私には、とても仲の良い夫婦に見えました。春は母智丘に桜を眺めに、夏は青島に海水浴、秋はえびの高原に紅葉狩り、冬は霧島の温泉にと、近場ではありましたが、よく家族3人でドライブにも行きました。
  私の進学や、就職、結婚など人生のターニングポイントにも、決して、反対などせず、私の思うようになるように、応援してくれました。本当に優しい父でした。
  晩年は、二人の孫の成長を楽しみに、孫の学校の休みのたびに、仕事で忙しい私に代わり遊びに連れて行ってくれたり良く面倒をみてもらいました。
  このような、平凡だけど幸せな父との日常がもう二度とない事は、さびしい限りではありますが、1年半の闘病生活を愚痴一つこぼさず頑張ってくれた父にはお疲れ様とありがとうを心から伝えたいです。
そして、これからは、残された母を、父の分まで、家族みんなで、大事にしていきます。