小学校には、校区外の範囲には、出ては行けない決まりがあり、少年野球のグラウンドが、校区外だった為、学校が終わりしだい1年間、車で送迎しました。週2日は、走り込みやグラウンド内のボール探し、時には虫取りなど低学年の子供には興味深いものだったようです。又、ボールが見えなくなるまでグラウンドで基礎練習をしてもらい、毎日が目まぐるしく過ぎ、4年生の時に違う学校から2人の小学生がチームに入部し、息子の学年は、4人となり活気付き、九州大会の試合で勝ち残り、福岡ドームで行進した事が、子供には良い思い出ができた事でしょう。6年の卒団式を迎える親たちは、役員の仕事から解放される安堵感と、今まで協力してきた父兄との別れは、寂しくも感じていました。6年の時、会長をしていた方から学校は違がったが、同じ学年で野球を通じて知り会った仲間なので、3ヶ月に1回の交流会を行なっては、と声が上がり会長宅を始めに、次は副会長、会計、と野球当時の役割分担の順序で、この8年間3軒の父兄や子供を交え、家周りで手料理2品と、自分で飲む飲み物を持参し、担当月の家で、飲み会を行なっています。始めの頃の会話と言えば、少年野球で
の練習試合の結果や、グラウンド内に水が溜まって練習が出来ない時、子供たちとスポンジを使い水のかき出しをした事、暑い中、草刈をした事。他の野球チームが来た際、母親たちの炊き出し苦労話など、盛り沢山の思い出話だったり・・・。
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